| ようこそ戸狩村へ・・これから戸狩村の歴史についてお話しましょう |
江戸時代になると、大名たちは、武士とその生活に必要な商人・職人を城下に集め、村に住む者は百姓身分としました(兵農分離)。中世と異なる近世の村が成立し、城下町が発展しはじめます。 中山道などの街道も整備されました。宿場に置かれた問屋は、輸送を独占していましたが、これに対して信濃では、荷主から送り先まで直接農民が馬や牛で運ぶ仕事が盛んになりました。これを中馬とよんでいます。信濃各地の産業は、この中馬の活動と結びあって発達しました。 江戸時代前期のふつうの農家は、かやぶきの屋根、ちょうな削りの柱、間仕切りの少ない土間と土座の単純素朴な造りでした。農民は、雑穀入りのカテ飯を土鍋で煮て食べ、麻の着物を着て、ネコとよばれる大型のむしろの上で生活していました。 農家のくらしは、経済の発達につれて大きく変わり、麻から木綿へ、一日二食から三食へ、土座から板の間へと衣食住が向上しました。豪農の婚礼は、あでやかな絹織物と豪華な祝い膳で祝いました。祭りの日には相撲や人形芝居、歌舞伎などを楽しむようになります。 庶民の文化や意識も高まり、読み書きや算盤を教える寺子屋が増えました。売買や約束ごとにも文書をとりかわすようになり、不正には訴訟をおこし、支配者の不法には力を合わせて実力行使(一揆)などで立ち向かい、自分たちの生活を守りました。 長野県の資料より |
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| TOP | 第2話 観光の歴史 |
| 戸狩温泉スキー場の歴史は汗と涙の結晶そのものです、昔の庄屋らしい雰囲気と温泉の歴史が実証しています。 昭和30年ごろ{今から50年前}冬の副業の「みの作り」もビニールやゴム製品に押され売れなくなりました、又静岡方面の「みかんもぎ」、トンネル工事等出稼ぎも男手の必要な屋根の雪掘り、子供たちの通学のための道つけ(雪ふみ)も皆女手一つでは子供の教育も出来ず、何とか家族みんなで家に居ってやれるものが無いかと日夜、先人達が汗を流して創った生活の基盤なのです、そして尊い財産なのです、何時までも大切にして後世に残さなければと思います。 |
| むかし懐かしいアルバムをお見せします |
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スキ 1 場の歴史 |
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| 昭和35年前山に待望の第一リフト建設・ 昭和46年とん平にリフト | 昭和51年初のペアリフト | 昭和60年高速リフト | ||||
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建物の変化 | |
| 昭和33年の民宿 | 昭和35年一部改築 | 昭和37年宮本荘 | 昭和59年大改装 | ヴィラ美やもとの冬 | ||
![]() 昭和20〜40年代は牛で農作業「代掻き」 |
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![]() 昭和25年〜35年サイロに家畜のえさを詰める作業 |
昭和55年頃まで炬燵での生活 |
![]() 昭和30年代{50年前} 山田での稲刈り |
昔の生活 | |
| 昭和30年頃{50年前}の冬の副業「みの作り」 | ||||||
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昔からのお客さん | |
| 昭和30年代石井文夫さん{中央}最初は大阪からお1人で1週間泊っていきました | 昭和53年、奥村(大妻女高)様ら雪不足の時リフトの無い岩の平で一休み | お父さんが国鉄の団体で来て次に家族で来ました北村精一郎様{当時中学生) | 浜松の大石守さん 北村さんの親友で40年来の家族以上のお付き合い |
横浜の小泉豊さん 学生時代からきています子供も大きくなったので |
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伝統文化 | |
| 五穀豊穣、秋のお祭行事に薙刀の奉納行寺 | 風林火山・武田信玄・上杉謙信・・川中島の戦いに動く | 満願成就のスキー地蔵 30周年記念事業としてゲレンデ中央に建立 |
飯山の正受庵 寺の町飯山には多くのお寺の内代表的なお寺です |
阿弥陀堂 寺尾聡、樋口可南子主演の映画{阿弥陀堂だより」の本尊です |
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伝統の 食文化 |
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| いもなます じゃがいもを千切りにして油で炒める |
えご 海草にところてんを入れてお湯で良く煮つめる |
名物の野沢菜 11月頃漬けてお正月に食べると大変美味しい漬物です |
笹寿司 この地方のお祝い事にはおそば或いは必ずでる主食の笹寿司です |
ニシンの昆布巻 昔は1年の内お盆正月祭礼の3回のみ食卓に出るご馳走です |
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前山ゲレンデの西側で一休みでした |
![]() 当時はお客さんと一緒に良く滑ったものです |
![]() うちの子供達 看板の字f美やもと荘 30年以上前のこと、冬になると雪遊びで1日中楽しんでいました |
昭和30〜40年代は長ーいスキーで良く滑ったもんです |
![]() ゲレンデ中央 昭和50年ごろは大阪自治労や愛知県職の団体が随分きましたね、活気があったね |
スキ1と私達の暮らし | |
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村の歴史 | |
| 子供みこし 9月の秋祭りに村野中を巡り五穀豊穣を祈ります |
殉難の碑 江戸時代に山論が起きた時の庄屋であり子孫を守るため多くの犠牲者を出したが平成八年に建立、供養したものです |
天満宮の鳥居 毎年7月に村中集まって観光振興、感謝の神事が行なわれます |
延命地蔵尊 宗泉寺の仏様が移されて子育地蔵、安産の仏として明治時代に建立信仰され親しまれている |
天然記念物 イチイの木、平成16年に飯山市の天然記念物として指定される |
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観光歴史カレンダー |
| 年 | 記 事 |
| 30 | 農家一戸当り蓑の生産量平均500枚、1枚100円で冬中で5万円又お米1升100円の時代、牛馬は農耕に山羊は蛋白源に又僅かながら鶏、乳牛、養蚕等が生計の支えであった。 |
| 31 | 民宿発起人会 |
| 31 | 五荷山に太田スキー場と名付けてリフトもないがスキー場を開設する |
| 32 | 観光協会設立総会 |
| 33 | パンフレット作成、1泊3食付250円・20戸に住宅改善資金73万円 |
| 34 | 東京足立区よりスキー客43人訪れる、スキー客による兎追い、兎(と)狩なべも始める |
| 飯山保健所から民宿の営業を4戸許可得る/学生村(1人1室が多かった)始める | |
| 35 | 太田スキークラブ設立32人 |
| 戸狩観光株式会社の設立総会を五荷公会堂で開く、資本金50万円借入金324万円 | |
| 待望の第一リフト建設竣工式 | |
| 36 | 馬そり戸狩駅より五荷まで運行 |
| 38 | 第2リフト建設のため三島観光を設立 |
| 39 | 太田観光(株)設立し第2ゲレンデに第1リフト建設 |
| 41 | 第1回読売杯アルペンスキー大会 |
| 戸狩観光(株)と三島観光両社合併 | |
| 協会設立10周年記念式典む、記念館建設 | |
| 43 | 戸狩スキー小唄(ソノシート3100枚作成) |
| 45 | 国設スキー場林野庁より許可、とん平ゲレンデの始まり |
| 47 | 斑尾高原スキー場オープン |
| 48 | 小境スキー場オープン |
| 49 | 大阪市とスキー姉妹都市提携調印式 |
| スキーセンター建設 | |
| 50 | とん平牧場、牛15頭放牧 |
| ヒュッテ大阪山の家完成 | |
| 52 | 親切と安全宣言の式典 |
| 53 | 全国でも珍しい屈曲リフトの竣工式(リフト延長1051m) |
| 54 | 初のスキー修学旅行来る |
| 飯山観光案内所が東京駅八重洲北口にオープンする | |
| 55 | 緑の村管理センター竣工式 |
| 戸狩自然公園竣工式 | |
| 59 | 斑尾サンバティックススキー場オープン |
| 60 | 長野オリンピック冬季大会は長野オリンピックスタジアムで開会する |
| 全国に先駆けて高速トリプルリフト{全長1051m}を安全索道{株}により建設する | |
| 61 | 第1回全日本雪上トライアスロン大会89人参加 |
| スキー場開設30周年記念としてスキー地蔵建立 | |
| 62 | とん平第7リフト終点裏側ゲレンデ外から新雪雪崩れ発生女性1人死亡 |
| 63 | 1週間第1回奥信濃スケッチ祭り開催 |
| 27、28日両日年末の雪不足のためヘリコプターによる雪の空輸作戦を実施 | |
| 元 | 第1回オフロード大会を開き根津甚八さんも出場する(第2回まで開催した) |
| 2 | 戸狩観光(株)と太田観光(株)が合併 |
| 冬季国民体育大会誘致臨時総会決議 | |
| 3 | スキー界の覇者ピルミン・ツルブリッケン選手(スイス)来場、コースに命名する |
| 待望の温泉湧出、1081mC41度毎分420lが自噴アルカリ性単純温泉、のち戸狩温泉あかつきの湯と命名 | |
| 10 | 長野オリンピック冬季大会は長野オリンピックスタジアムで開会する |
| ジュ二ァオリンピック開会式戸狩で行なわれる | |
| 北陸新幹線長野−上越間建設の起工式、JR脇野田駅で行なう | |
| 13 | 第56回飯山国体の開会式は城北グランドでアルぺん競技は戸狩温泉パノラマゲレンデで開催、またクロスカントリーは長峯運動公園を中心に行なわれた。 |
| 17 | 斑尾高原開発(株)会社更生法の申請する、しかし早く再生する事を祈る。 |
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| 飯山市指定天然記念物[イチイ] 昔懐かしい[ほうづき] |
| TOPへ | 第2話 | ほのぼの民宿物語 |
| 昭和30年頃農家は「もらい湯」といって交代にお風呂を沸かして近所の家同士でお湯入りに歩いたものです、其れもまた一つの娯楽でしたね、最初は特に都会のお客さんとの会話もままならず苦労したものです、今 は昔の大変素朴で純情な会話でした。 |
| むかし懐かしいこの地方の言葉 | 通訳してみました | |||||
| 方言から | @ | あっちへ「ベちゃって」きてくんねかえ | あちらの方へ「捨てて」きてください | |||
| A | おめっちゃ「えんと」してやっとくれゃ | 皆さん「座って」やって下さい | ||||
| B | 「おまんま」食べてから「えけば」いいのにさぁ | 「ご飯」食べてから「行けば」いいのにさ | ||||
| C | あれは「おとっこだから」「あばされてる」んださ | あれは「末っ子」だから「ダダこねて」いるんだよ | ||||
| D | 「きょう」に「ふうぎどり」になったら「よわっちゃう」わさ | 「急」に「吹雪」になったら「困って」しまいます | ||||
| E | これ「ば」そっちへ「ベちゃって」きて「くんね」かい | これ「を」そっちへ「捨てて」きて「下さい」 | ||||
| 最初の頃のお客さんに | F | トイレはどちらですか(聞かれて) | あぁトイレなら仏壇の傍にあらさと砥石入れを持ってきてさァどうぞと差し出すと | |||
| 違うといったら今度は | 洗面器に水を入れてきてさぁどうぞ・・これですか | |||||
| 又違いますがねぇといったら | 困ったなぁ・・・あぁ〜便所のことですかとやっと答えたのですが外国へ行ったようでした | |||||
| G | お客さんを五右衛門風呂に入って頂いて暫くたったので、どうぞごゆっくりと入って下さい | そんなに音を立てていないのにと思いながらも、 でも、もっと静かにしていました | ||||
| お客さん「お湯の加減」どうですかと尋ねましたら | 少し熱いんですけどと答えましたら | |||||
| それではといってバケツに汲んだ水を入れて下さって、また帰りぎわに「お静かに」でした | ぜんぜん音も立てていないのにと思ったらどうやらこの地方は、「ごゆっくり」の事を「お静かに」というらしい | |||||
| H | あまり良くして頂いたので「チップ」を出したら | 血相変えて「それこそ困っちゃう」と言って逃げ回つたものです | ||||
| I | 大阪から石井文夫さん1人で一週間泊っていきました昼はスキー学校の水野晴美さんにコーチしてもらいました | 萱葺き屋根の表座敷に石井さん一人に食事を運ぶとお膳を持って一緒に食べさせてと言ったものです、テレビもありません暖房も炬燵のみ、掘り炬燵で天井も高く寒いお部屋でしたが毎年来て下さいました。 | ||||
| 民話から | J | 姑は嫁さんに自分の家で味噌を仕込むことの大切さ、経済的な意味を教え込んだ | 1、借金してでも味噌を作れ 2、味噌を買う家は蔵が建たない 3、味噌の変味と梅漬けの腐敗はその家に不祥事が起きる |
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| K | 親腹七日 | 農家の嫁さんは節句や正月などのもの日には大っぴらに生家へ帰ること、子供と一連隊で泊りに 行き体を休め思いっきりご馳走を食べさせてくれた。婚家へ戻ってからも七日ぐらいは腹が減らないほどだった。 | ||||
| L | 田植唄 | 目出度いものは大根種、花咲いて実なりて俵重なる 姑も短気、嫁短気、またたびを芥子であえた如くに |
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| M | 農家の昔の人たちの会話から | 家人「ああ、丁度おまんま(ご飯)どきだでろくなものもねえけど食べていっておくれ お客「それじゃ、遠慮しなんでおごっつぉになるか」 家人「塩あんべなっちょだい、ドン欠無し(うす味)かなぁ」 お客「ええさ、あまもっくらしていて(辛さのなかにも食べていて甘味が出ている)うんめで。 |
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| N | 人情深い飯山の風習から | 1、毎朝新しくご飯を炊くと真っ先にお仏様に供えて手を合わせた 2、飯山の人はくれ好きで近所や親戚へ用事に行く時も手ぶらでは なく必ず手土産を持っていく、一方家に来られた方もお返しを欠 かさない、それを怠ると「愛想のない人」と評判を落としてしま う。 |
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| 11月には | ![]() |
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| topへ | 第3話 | 飯山の風土記 | ||||||
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| 飯山風土記 | 瀬木の箱訴事件 | 食の風土記 | ||||||
| 00 | 飯山は旧石器時代から人は住んだ、約3万年前の狩猟をしていた時代 | 000 | 江戸時代の宝暦(250年前)期に起きた瀬木村の山論 | 笹ずし | 冨倉の里人が謙信に献上したと伝えられる | |||
| 000 | 千曲川の恵は縄文時代から極めて重要な食料だった、又千曲川は塩の路でもあった | 000 | 瀬木村でけっ所にされた人々の家族の動向は悲惨な者だった | 0こびれ | 腹持ちのいい塩味の利いたきなこむすび、を沢山食べて仕事に励む | |||
| 000 | 川中島合戦の伝説−謙信と信玄の闘いの記録、小菅神社の奥社、修験の里小菅−歴史のゆりかごの中で自然を歩く−雪が育む杉並木が感動を与える | 000 | 徳川九代将軍家重有徳院様第17回忌法要に減刑恩赦願い | 00えご | 江戸時代から主に飯山地方に伝わる代表的な郷土料理です越後の海岸から取れるえご草が原材料である | |||
| 000 | 江戸時代の初期藩主たちは城下町の形成に努力し正受庵を始め社寺を招致し雪国の小京都としての寺の景観を整えました 花盛りの春−風までが鮮やかに変化 |
000 | 宝暦九年瀬木村の17人のうち11人は牢死又は病死しました | いもなます | 1年中保存可能なじゃがいもを使って作る郷土食、四ヶ月を雪の中で暮らす雪国での見事な保存食です | |||
| 000 | 積雪を予測する神戸のイチョウの大木 天然記念物の山田神社の大杉 又巨木として天然記念物に認定された「ヴィラ美やもと」の敷地内のイチイ |
000 | 庄屋幸左ェ門は江戸の泉岳寺門前の切雲院墓所に葬られる | やたら00 | 手元にある生で食べられる野菜をみじん切りにして漬物の味と混ぜ合わせて作る | |||
| 000 | 鍋倉山のブナの原生林の美しい芽吹き 巨木では樹齢推定400年の森太朗や森姫もすばらしい |
000 | 平成八年戸狩自然公園内に殉難の碑を建立する | 0とうたち菜 | 雪が消え真っ先に食べるのはとうたち菜である その初摘みは最高の美味だ |
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| 奥信濃の昔話 (其の1) | ||||||||
| 針尾の池 昔、一人の女の人が長嶺の上の畑へ野良仕事に出掛けました。女の人ですの で、ほころびを縫うための用意に針を髪にさして持って行ったのですが、ふとした弾みに、其 の針を傍らにあった小さな農家の庭先の池に落としてしまいました。 昔の事ですので、一本の針でもとても大切です。一生懸命になってその池の中をむ探すうちに 、針は見つからずに池がどんどん大きくなっていきます。気が付いたときには、もう今のよう に大きな池になッテ板ということです。(文 岡田千春) |
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